南紀新宮 徐福伝説の殺人トリビュートランニング
西村京太郎さんの作品に
南紀新宮 徐福伝説の殺人
というのがありまして
その中に
こういう一文があります
この一文の流れは
日本の歴史では
王仁博士が、4世紀末に
文学(文字)を伝えたとされているんですが、それ以前の200年くらいに
この作品の学者の新たな説が
『徐福が文字を伝えのではないか?』
と唱えた話です!
まず!
『徐福』とは!
↓
中国,秦代の方士 (ほうし) 。徐市 (じょふつ) ともいう。秦の始皇帝の命で童男童女数千人を連れて,海中の三神山に不死の薬を捜しに出かけたという。しかし,三神山は発見できず,日本の紀州へ上陸した,といわれてその記念碑が現存し,連れて行った童男童女から生れた子孫が日本民族である,という説すらあるが,いずれも後世の伝説にすぎない。
王仁博士より先に
徐福が色々な文化を伝えた中に
文字を伝えたんではないか?という話です
ま~~フィクションですけどね?
そこで
何故?
この話を書いたか?
そして
実家の地域に
王仁博士の墓が
あるんです!
※詳しくは読みにくいですが
昔から
『鬼の石』と地元で祀られてたものが
『おに(おうに!王仁)』が、
なまったもので『わに(王仁)』の墓であると地元の文献を調べ、
王仁の墓として祀ったらしいです!
日本書紀にも出てくる話らしいです
なんか
小説を読んでて
地元と関連することが
出てくると
少し楽しくない?
という事で
連休最後に
西村京太郎さんの作品に
楽しませてもらってるんで
『南紀新宮 徐福伝説の殺人』を
トリビュート(感謝して)して
『王仁!徐福伝説を含め地元の史跡を巡るランニング』をしたわけです!
僕の実家(枚方)は
王仁博士の墓だけでなく
(朝鮮半島から文字を伝えた)
朝鮮半島と意外に関わりが深いんです
※走るようになって知ったんですが
簡単に書くと
7世紀に、朝鮮半島で戦に敗れた人達が
同盟国の平和な日本を頼り訪れ
日本各地に定着して日本民族に同化した
また中には臣人(役人)となった一族もいて、東北地方に赴任した子孫が 金を採掘して聖武天皇が大仏を造る際に
200万両を献上したため
その褒美に河内国を与えたらしく
その中心的な施設が
百済寺跡なのかな?
この辺りは
朝鮮半島から来た子孫達が治めていたんですね
そういう意味では
朝鮮半島と日本の文化交流の文化として重要な場所かも知れませんね?
ということは
『おにの石』を『わにの石』
王仁博士の墓にさせるには
バックボーンがあったのかも知れませんね?
PS
この百済寺跡って
大阪に2つしかない
国指定特別史跡なんですって!
ちなみに
もう1つは
大阪城!
なかなか地味ですが
歴史的に重要な史跡なんですよね?
本日の冷たいもの
ファミマの
ギャラクティカ グレープフラッペ
普通!
やっぱり
1番初めのストロベリーフラッペが良かった